天才
2002年7月31日僕は、たまにいろいろな事を考える。
「テツガク」・・・・だと、自分では思っている。
つい最近、天才について考えた。
天才・・・
歴史上にも、天才と呼ばれた人間は
数多く登場する。
代表的なものを上げると、芸術家だ。
画家、作曲家、作家、演奏家、彫刻家・・・・
誰か、一人くらいは頭に浮かぶのではないかな?
今、頭に浮かんだ「その人」のことを考えてみよう
「その人」が、本当に人智を超えた才能を持っていたとしたら・・・
我々凡人には、本当に「その人」が遺した物を理解できているのだろうか?
天才というのは、普通の人間とは違う。
何かが。
その天才が「良い」と思えるものが、
我々に理解できるのか?
逆に言えば、我々が好む物は、天才には理解できないのかもしれない。
いや、「天才」なのだ、
理解は出来ただろう。
だが、それでは満足できなかったのでは無いだろうか?
そう考えると。おかしな事が生まれてくる。
事実、現代にはその「天才」たちが遺した物が
数多く存在している。
それは、我々凡人が認めた物だからだ。
・・・それはどういう事なのだろうか?
まず、こう考えられる
「天才」は、凡人を見下していたのだ。
我々凡人に「合わせて」作品を作ったのでは無いだろうか?
・・・見下していたとしても、当然悪意を持っていたとは限らないが・・・
そうすると、本当の「天才」の作品という物は、
誰にも理解されず、歴史の中に埋もれていったのかもしれない・・・
また、こうとも考えられる。
彼ら「天才」は、自分の満足できる物を作り上げた
そして、たまたまその作品の
「一部分」を凡人に理解する事ができたのだ。
そうすると「天才」は我々の想像もつかないような
メッセージを作品に込めているのかも知れない。
・・・そうなると、一つ目の考えの通り
凡人の目に留まらなかった作品たちは
すでに歴史の闇の中だろう・・・
だが、今も残っている物はある。
もし、この考えがあっているのだとしたら・・・
いつか、
「天才」のメッセージを理解できる「天才」
が現れ、我々に新たな知識を与えてくれる事を祈りたい。
最後に、こうとも考えられる。
彼らは「天才」等では無かったのだ。
たまたま、自分の才能を開花させる事が出来た
一握りの人間だったのかもしれない。
・・・もしかすると、
僕は人一倍「天才」と言う言葉を大きく受け止めているのかもしれない。
「天才」というのは、人智を超えた才を持った人間ではなく。
何か、大きな事を成し遂げた、作り上げた人間の事なのだろうか・・・
そうだとすれば、確かに彼らは「天才」だ。
そして、我々凡人も「天才」になれる。
そう言う事だ。
ここで、少し戻ってみよう。
そうだとすると、僕の考えていたような
「真の天才」(と言うのも少しおかしいが)は
この世に存在しないのだろうか?
否、こうとも考えられる。
「真の天才」の考えは、凡人にはやはり理解できない。
ヒトには群れる習性がある。
兎は、一匹にしておくと死んでしまうと言うが、
ヒトだって同じだ。
出会いの無い人生など意味は無い。
一人ぼっちの人間は自殺も考える。
「真の天才」 彼らはその考えを、才能を、
理解されずに人から疎外され、
歴史の影に埋もれていったのではないだろうか。
あなたの周りにいる、周りから仲間はずれにされている人。
あなたは彼(彼女)の事をどれだけ知っているだろうか?
もしかしたら、彼(彼女)は考えが合わないだけで疎外された、真の天才なのかもしれない。
・・・更にここで新しい考えが生まれる。
もしかしたら、現在知られている天才たちは
天に二物を与えられた人間だったのかもしれない。
彼等は、例えば絵の才能だけでなく
世渡りの才能も持っていたのではないか?
・・・そうすると、最初に挙げた
『「天才」は我々を見下していた』
という考えが思い出される。。。
と、もう一つ。
もしかしたら、彼等は「運」が良かったのかもしれない。
異質な考えを持ちつつも、運良くそれが人に理解され、歴史の光を掴んだ・・・・
また、「運」を「努力」として考える事も出来る。
・・・「天才」
考えてみると、曖昧な言葉である。
「テツガク」・・・・だと、自分では思っている。
つい最近、天才について考えた。
天才・・・
歴史上にも、天才と呼ばれた人間は
数多く登場する。
代表的なものを上げると、芸術家だ。
画家、作曲家、作家、演奏家、彫刻家・・・・
誰か、一人くらいは頭に浮かぶのではないかな?
今、頭に浮かんだ「その人」のことを考えてみよう
「その人」が、本当に人智を超えた才能を持っていたとしたら・・・
我々凡人には、本当に「その人」が遺した物を理解できているのだろうか?
天才というのは、普通の人間とは違う。
何かが。
その天才が「良い」と思えるものが、
我々に理解できるのか?
逆に言えば、我々が好む物は、天才には理解できないのかもしれない。
いや、「天才」なのだ、
理解は出来ただろう。
だが、それでは満足できなかったのでは無いだろうか?
そう考えると。おかしな事が生まれてくる。
事実、現代にはその「天才」たちが遺した物が
数多く存在している。
それは、我々凡人が認めた物だからだ。
・・・それはどういう事なのだろうか?
まず、こう考えられる
「天才」は、凡人を見下していたのだ。
我々凡人に「合わせて」作品を作ったのでは無いだろうか?
・・・見下していたとしても、当然悪意を持っていたとは限らないが・・・
そうすると、本当の「天才」の作品という物は、
誰にも理解されず、歴史の中に埋もれていったのかもしれない・・・
また、こうとも考えられる。
彼ら「天才」は、自分の満足できる物を作り上げた
そして、たまたまその作品の
「一部分」を凡人に理解する事ができたのだ。
そうすると「天才」は我々の想像もつかないような
メッセージを作品に込めているのかも知れない。
・・・そうなると、一つ目の考えの通り
凡人の目に留まらなかった作品たちは
すでに歴史の闇の中だろう・・・
だが、今も残っている物はある。
もし、この考えがあっているのだとしたら・・・
いつか、
「天才」のメッセージを理解できる「天才」
が現れ、我々に新たな知識を与えてくれる事を祈りたい。
最後に、こうとも考えられる。
彼らは「天才」等では無かったのだ。
たまたま、自分の才能を開花させる事が出来た
一握りの人間だったのかもしれない。
・・・もしかすると、
僕は人一倍「天才」と言う言葉を大きく受け止めているのかもしれない。
「天才」というのは、人智を超えた才を持った人間ではなく。
何か、大きな事を成し遂げた、作り上げた人間の事なのだろうか・・・
そうだとすれば、確かに彼らは「天才」だ。
そして、我々凡人も「天才」になれる。
そう言う事だ。
ここで、少し戻ってみよう。
そうだとすると、僕の考えていたような
「真の天才」(と言うのも少しおかしいが)は
この世に存在しないのだろうか?
否、こうとも考えられる。
「真の天才」の考えは、凡人にはやはり理解できない。
ヒトには群れる習性がある。
兎は、一匹にしておくと死んでしまうと言うが、
ヒトだって同じだ。
出会いの無い人生など意味は無い。
一人ぼっちの人間は自殺も考える。
「真の天才」 彼らはその考えを、才能を、
理解されずに人から疎外され、
歴史の影に埋もれていったのではないだろうか。
あなたの周りにいる、周りから仲間はずれにされている人。
あなたは彼(彼女)の事をどれだけ知っているだろうか?
もしかしたら、彼(彼女)は考えが合わないだけで疎外された、真の天才なのかもしれない。
・・・更にここで新しい考えが生まれる。
もしかしたら、現在知られている天才たちは
天に二物を与えられた人間だったのかもしれない。
彼等は、例えば絵の才能だけでなく
世渡りの才能も持っていたのではないか?
・・・そうすると、最初に挙げた
『「天才」は我々を見下していた』
という考えが思い出される。。。
と、もう一つ。
もしかしたら、彼等は「運」が良かったのかもしれない。
異質な考えを持ちつつも、運良くそれが人に理解され、歴史の光を掴んだ・・・・
また、「運」を「努力」として考える事も出来る。
・・・「天才」
考えてみると、曖昧な言葉である。
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